財布とフットワークが軽くなった高校教師 ままよ

私学高校で専任教諭から非常勤講師へ。Quality of Lifeで言えば、非常勤さいこう。教員の、特に私学所属の教員の働き方について考えるブログ。

私立高校の労働環境と年収について

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私立高校の労働環境・給料

 

働いていた学校の学力と待遇について


「みんなの高校情報」の偏差値で60~70あたりのところで働いていた。
生徒はとても素直でかわいらしく、その点では恵まれていた。また、給料も高かった。40なかばで1000万、定年のあたりでは1200万くらいという噂だった。

労働時間は月300時間オーバー

労働環境は、私には辛かった。他の仕事を知らないから比較はできないけれど。
役職に就いていたときは特に毎日、死にたいと思っていた。疲れすぎて、何も考えられなかった。給料減らしてくれていいから、仕事も減らしてほしいと思っていた。

役職についていなかったときは、こんな感じ。月~土は授業。授業のあとに部活や分掌や担任業務をして、だいたい20時になる。それから気力が残っていれば予習。日曜日は部活の練習試合や公式戦が入って、夕方まで拘束。だから、平日と土曜は平均すると8時半~20時半頃まで仕事で、日曜は月に2回くらいお休み。週に1回13時半頃に帰れる日があって、その休みは死守。だから月の労働時間は、月-土の12時間×31日×6/7+日曜の8時間×2日ー7時間×31日÷7日=304時間程度。

役職についていたときは、平日の退勤時間が22時頃だったので、304+1.5時間×31日×6/7=344時間程度。

週の労働時間40時間だとしたら、月の法定労働時間は40×31÷7=177時間。役職に就いていないときでも127時間オーバーだし、役職についていたときは167時間オーバー。
残業代は一切出ない。(お給料自体が高かったので、残業代くれという気持ちはあまり沸かなかったけれど)

生徒と関わることが好きだったはずなのに、生徒が質問に来たときに「ああ、また帰りが遅くなる・・・」と、また生徒が雑談をしてきたときに「つまらない話。それがどうした。」と思うようになった。
今までの自分では考えられないくらい、生徒に無関心になっていたし、自分の仕事を増やす人のことが憎くてたまらなかった。

 

 

精神崩壊しそうだった

元気なときは、マンションに帰ったら叫んだりしてた。「もういやーーー!」と。

元気じゃないときは、自分が泥のようなものになったように力が入らず、「気付いたら死んでたらいいのに」と考え、でも積極的に死ぬための行動を起こす元気もわかず、「はあ、疲れた・・・」とつぶやく。

高3生が大学の合格を報告に来てくれるとき、教師としてものすごく嬉しいときのはずなのに、「合格したのはわかったから、もう帰って~・・・。あなたがここにいる時間分、帰るの遅くなる・・・。」なんて思ってしまったり。
でも生徒は、無邪気に話し続けるのね。自分がどんな苦労をして、どう工夫したかとか、どういうときに辛かったかとか、ご家族がどんな様子だったかとか。
そういう話を聞くのも仕事のうちと自分に言い聞かせて、ニコニコと話を聞くようにしたけれど、一人来る度に1時間はかかる。来なくていいのに・・・と思ってしまったことがある。
そして、そう思った自分にうんざりする。うんざりしつつも、仕方ないよなと思ったりする。

 

退職してみて気づいた、時間がある幸せ

退職してしばらく経ったある日、壁の照明のスイッチが汚れていることに気付いて、メラミンスポンジでこすったのね。そうしたら、汚れがみるみる取れていって、見違えるようにきれいになった。
それを見てとても嬉しかったのと同時に、涙が出た。生きるためにご飯を食べたり、不潔にならないように着替えたりお風呂に入ったりはしていたけど、気持ちよく過ごすために部屋に手を加えたのって、何年ぶりだろうかと思って。その必要最低限じゃないことをするのが、こんなにも幸せで、生きている実感に満ちたものだなんて。

私の退職は、長い目で見ると失敗だったんだろうけど、照明スイッチを磨いているとき、久しぶりに自分の体に血がめぐっていくような感覚になった。ああ、生きてる・・・と。

もう一度あの戦場に戻ることができるのか、そして戻ったとき、心身共に健全でいられるか、今必死に考えているところ。